馳星周の「9・11倶楽部」を読んだので、その感想を書き連ねます。
特に、主人公の織田が、クライマックスで自問自答した言葉が、私は忘れられません。
馳星周ファンは、もちろんのこと、ノワールやバイオレンス小説が、すこし苦手だという人も、
この「9・11倶楽部」は、面白く読めると思います。
家族とは? 世界平和とは?
そういったテーマが、随所にちりばめられているので、子を持つ親には、ぜひ読んで欲しい作品ですね。
馳星周「9・11倶楽部」のあらすじ
この物語の主人公は、東京消防庁新宿消防署大久保出張所に勤める、救命救急士の織田。
新宿歌舞伎町の界隈が舞台なのは、馳星周の真骨頂だが、これまでの作品と違うところは、
主人公が、アウトローな不良ではなく、人命救助に打ち込む真面目な人間だということ。
しかし、それは表面上のことで、織田は悲しい過去を持つ、孤独な人間。
それゆえに、破滅へと向かっていく訳だが、今回のクライマックスは、読めない展開だった。
織田は、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件で、最愛の妻と息子を亡くしている。
織田自身、その当時は消防士として、現場に駆け付けたが、未曽有の大事件の前に、為すすべなく己の無力さを痛感する。
家族を失った悲しみから、織田は、消防士としてのキャリアを捨て、救命救急士として働き出す。
地下鉄サリン事件の11年後に、新宿歌舞伎町で、ある少年少女グループと出会う。
リーダー格の明(あきら)や、唯一の少女、笑加(えみか)を含めた8人は、
都知事による新宿浄化作戦で両親を中国に強制送還され、戸籍のない子どもたちだった。
事情を知った織田は、彼らを救うため、中国アフィアと関わりを持ち、犯罪に手を染め、
さらには、都庁を破壊するという、無謀ともいえる‶テロ行為〟に向け、突き進んでいく。
「9・11倶楽部」は文庫本で600ページ近くあるが、主に3つのブロックに分かれている。
- 少年少女たちとの巡り合い
- 中国マフィアの犯罪に加担する
- ‷都庁爆破テロ〟に向けたクライマックス
ざっくりと、3つに分かれているため、同じ物語でも、
前段、中盤、クライマックスで、それぞれ違った楽しみ方ができる。
それぞれのブロックについて感想を述べよう。
馳星周「9・11倶楽部」の感想
主人公である救命救急士の織田が、物語のクライマックスで自問自答した言葉だ。
わたしは再び夢を見た。
父親として振る舞う自分の夢を見た。
新しい家族を手に入れるという夢を手にした。
夢は夢だ。
幻よりさらにあやふやなものでしかない。
それが証拠に、明日にでもわたしとあの子らは離れ離れになる。
だが、手に入れるために死に物狂いの努力をしなくて、どうして夢を掌中に収めることができるというのか。
無理を無理と承知でそれに手を伸ばすことで初めて、夢は形をなすのでないか。
これを読んで、ハッとさせられた。
特に…
「手に入れるために死に物狂いで努力をしなくて、どうして夢を掌中に収めることができるというのか。」
という一節。
馳星周の作品は、現実の事件などを基にした、想像外のフィクションで楽しませてくれるが、
主人公が葛藤しながら紡ぐこうした言葉に、重みがあり、読んでいて考えさせられるのが、一番の魅力だと思う。
さて、主人公の織田がどのようにして、こうした境地に至ったのか、見て行こう。
1.少年少女たちの巡り合い
私が、馳星周の小説が大好きなのは、行きつく暇もないほどのスリリングな展開が続き、
あっと間に、物語に引き込まれてしまう点にある。
それは、馳星周の魅力ともいえる、ぶっとんだアウトローやバイオレンスもさることながら、 著者が、その時に取り上げたテーマについて、深い調査と取材を重ねているので、
主人公の職業についてや、現実社会で起きた事件・事故などや、史実についての勉強にも非常に役立つからである。
「9・11倶楽部」の場合、まず、物語の序盤では、
第一に、主人公・織田の職業である救命救急士という仕事が、どんなものかが分かる。
もちろん、救命救急士の仕事は、小学生でも勉強することだが、そんなことを言っているのではなく、
救命救急士という、子どもが憧れる「かっこ良い職業」が抱える暗い側面や、医者との格差などが、リアルに伝わってくる。
たとえば、物語の冒頭、救急車で現場に出動した織田が、車内で本部と連絡を取り、担当指導医に指示を仰ぐシーンが印象的だ。
経験不足の医者は、腹の底で小馬鹿にしつつ経験豊富な現場の救命士にすべてを投げ出すことが多い。
役に立たない医者より、なにもゆるされない救命士という存在を歯噛みする
救命救急士は、あくまで、患者に応急処置を施し、いち早く病院に連れていくことが仕事であり、
それ以上でもそれ以下でもないということ。とにかく、やれることが限られているらしい。
私は、数ページ読んだ時点で、「ああ、この『9・11倶楽部』は絶対に面白いな」と確信した。
そして、その救急現場で出会ったのが、中国残留孤児2世の少女・笑加や、少女と共に暮らす少年たちだった。
彼らは、不法滞在として日本で働いていた中国人を親と暮らしていたが、
新宿浄化作戦で、親が中国に強制送還され、日本に取り残され、新宿でひっそりと共同生活を送っていた。
警察に知られれば、戸籍のない彼らも、中国に帰されることにある。 しかし、生まれも育ちも日本だが、日本人ではないという存在である彼らは、
かといって中国が故郷でもない、特別な存在…。
新宿浄化作戦は、2004年に、当時の石原慎太郎知事の意を受けた警察官僚出身の竹花豊副知事の主導によりスタート。
暴力団や非合法な性風俗の摘発、不法滞在外国人の追放などが行われた。(巻末の解説より)
新宿歌舞伎町界隈の治安が良くなった効果もあった中、
時の権力者たちが見て見ぬふりをしていた〝ひずみ〟にスポットライトを当てるところが、いかにも馳星周らしい。
彼らは、過酷な境遇ながら、歌舞伎町で野生動物の如き嗅覚で生き延びてきた。
そうした少年たちの逞しさは、現代の日本では薄れてしまった部分であり、だからこそ、読んでいて面白い。
地下鉄サリン事件で家族を失った織田は、それ以来、孤独と共に生きてきたが、
不遇な少年少女と出会うことで、父親としての自分を次第に思いだしていくのである。
2.中国マフィアの犯罪に加担
そして、物語の中盤は、原因不明の貧血に度々悩まされる少女・笑加(えみか)に薬を買え与えるため、
織田が、中国マフィアのボスと接触し、麻薬などの運び屋として犯罪に加担し始める。
この「中国マフィア」ブロックは、馳星周ファンには堪らないところ。
中国マフィアがはなつ血生臭さや狂気、バイオレンスは、
「不夜城」を始め、馳星周が、当初から書き続けてきたノワールの世界。
特に、中国マフィアのボス・李威(リーウエイ)のグループと、 笑加の実兄トモが率いる不良グループが対決するシーンは、
馳ノワール小説のクライマックスを思わせるスリリングな展開。
そして、主人公・織田の、行き場のない怒りが爆発するシーンでもある。
この山場がクライマックスではなく、クライマックスに向かうきっかけであるところに、
この「9・11倶楽部」という小説の贅沢さを感じ得ない。
序盤で、救命士や中国残留孤児2世についての知的好奇心をくすぐられ、
中盤で、馳ノワールの世界に浸らせ、そして、終盤で、あっと驚く展開が待っているのである。
3.〝都庁爆破テロ〟に向けたクライマックス
戸籍もなく、学校に行くこともできない…。
健康保険に入っていないため、病院で診てもらうこともできない…。
そんな状況の中、逞しく歌舞伎町で生き抜いてきた少年少女たち。
しかし、先の見えない暮らしに対する不安や絶望から、
新宿浄化作戦を行った都政に対する報復として、‶都庁爆破テロ〟を実行することを決意する。
自分の子供が、彼らのような状況に置かれたとしたら、どうだろうか?
今の日本で、当然のごとく日本人として生まれた我々としては、なかなか想像ができないだろう。
ただ、何不自由なく暮らしていること、当たり前のように学校に通えること、
子供の医療費がただであることなど、日本の教育環境や手厚い社会保険があることに感謝したくなる。
もちろん、税金をはじめとして社会保険料を我々が払っているのだから、その恩恵を受けるのは当然と言えばそうだが、
世界を見渡してみれば、そうではない国がまだまだあふれている。
彼らの‶都庁爆破テロ〟という無謀と思える計画を、織田は当初「止めるべきだった」と思っていた。
なぜなら、妻子を奪われた地下鉄サリン事件と同じような惨状が引き起こされるから。
それでも、尾田は、家族のような存在になっていた少年たちを失いたくない、
という思いからテロに加担することを決意する。
彼らがテロを実行すべく都庁の下見に行くくだりで、いかに都庁がテロに対して脆弱な警備体制かを指摘している。
タイトルにもあるように、この‶都庁爆破テロ〟は、
少年たちが、9・11アメリカ同時多発テロ事件を目の当たりにしたことから発想が生まれている。
我々日本人は、9・11テロを、対岸の火事のように傍観してきた。
世界貿易センタービルのツインタワーが、ハイジャックされた旅客機に突っ込まれ、
爆発炎上し、崩壊するショッキングな瞬間を目の当たりにしたにも関わらずだ。
あのテロ以来、日本でも、各地でテロ対策が敷かれるようになった。
しかし、日本は平和な国であるがゆえに、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
そうした現状に対し、馳星周は、少年たちにようる‶都庁爆破テロ〟計画という題材で、痛烈に批判したのではないだろうか。
爆破テロが決行されるのか、失敗に終わるのか。
クライマックスの最大の焦点は、全く予想が出来なかった。
あの結末は、馳星周作品の中では、一見、救いがあるようにも思えるが、
その後の顛末を考えれば、負の連鎖が、さらなる怒りや怨恨を呼ぶ絶望的な終わりでもある。
その後の織田の人生は?
少年たちの処遇は?
都庁にいた人たちは?
考えれば考えるほど、答えが見えてこない。
しかし、これは小説の話にとどまらず、世界では、この瞬間にも現実に起きている現在進行形の話である。
この「9・11倶楽部」は、家族とは何かというテーマに加えて、世界平和への問いかけが為されているのではないか。
極上のエンターテイメントでありながら、こうした普遍的なテーマを投げかけてくる馳星周作品。
だからこそ「やめられない止まらない」のである。