西郷隆盛率いる薩摩軍と、明治政府軍が激戦を繰り広げた、
日本最後の内戦「西南戦争」は、なぜ起きたのか?
その理由を垣間見ることが出来るのが、鹿児島市にある西郷隆盛の私学校跡。
今も残る石垣には、西南戦争で政府軍が撃ち込んだ砲弾の跡が、生々しく残っています。
鹿児島市の西郷隆盛ゆかりの地を巡る旅。
今回は、西南戦争の最終局面で激戦地となった「私学校跡」を巡ります。
鹿児島市の西郷隆盛「私学校跡」
西郷隆盛ゆかりの地シリーズでは、以下の5つの場所をご紹介していきます。
前回は、西郷隆盛銅像を巡りました。
続いては、西郷隆盛像から、歩いてすぐの所にある私学校跡へ。
今は、周りの石垣だけが残されていて、中には、鹿児島医療センターが建っています。
「私学校」とは、西郷隆盛が、故郷・鹿児島に戻った後、
彼を慕う者たちに求められ作った軍人の養成学校です。
石垣には、今もなお、西南戦争当時の、銃弾の跡が、生々しく残っています。
戦争の激しさを物語っていますよね。
ここは、西郷隆盛が自刃した後、残された幹部たちが、政府軍と最後の死闘を繰り広げ、諸将39名が討ち死にした場所です。