鹿児島市の西郷隆盛銅像
西郷隆盛像は、鹿児島市役に近い通りにあり、
城山をバックして、どどーんとそびえ立っています。
銅像は、高さ8メートル。結構、でかい!
西郷隆盛は、日本の初代・陸軍大将。その時の制服姿のようです。
幕末・維新の英雄、西郷隆盛。
江戸城の無血開城や、明治新政府の設立など、明治維新に最大の功績を残しましたが、
突然、職を辞めて鹿児島に帰郷。
その後、弟子たちの反乱がきっかけで、西南戦争が勃発。
新政府軍と戦うことに。
そして、結果は周知の通り敗北。この城山の地で自刃するのです。
この西郷隆盛銅像を作ったのは、なんと、あの渋谷「忠犬ハチ公」と同じ作者。
鹿児島市出身の安藤照さんが、8年かけて作ったんだとか。完成は昭和12年。
ちなみに、こちらが、東京・上野公園の西郷隆盛像。
こちらは、鹿児島の陸軍大将姿の銅像とは打って変って、普段着の着物姿。
愛犬も引き連れいています。
この格好は、西郷隆盛が下野してから西南戦争が始まるまでの間、
故郷・鹿児島で、農業や狩りをしながら、のんびり暮らしていた頃がモデルのようです。
私にとっては、上野公園の銅像のほうが、慣れ親しんだ西郷どんの姿ですね(笑)
鹿児島の銅像については、西郷隆盛は故郷の英雄であり、
陸軍大将時代の軍服姿のほうが、やはり、しっくりきたのでしょうかね。
いずれにしよ、政府の政治家・軍人の姿も、庶民のような姿も
どちらも西郷隆盛という男を表していることに違いはないのでしょう。
今回、本場、鹿児島の西郷隆盛像を見れて、本当に良かったです。
西郷隆盛銅像(鹿児島市)
それでは、次回の記事で、西郷隆盛が、その最期を遂げた、
西南戦争、最後の激戦地を巡って行きます。
なぜ、西南戦争は起きたのか?
そのきっかけを、西郷隆盛が地元・鹿児島で開いた私学校の跡地で垣間見ることができました。
>>西南戦争はなぜ起きた?鹿児島市の私学校跡を巡る
西郷隆盛 命もいらず名もいらず
今回、鹿児島で西郷隆盛ゆかりの地を巡った後に、こちらの書籍を読んで、さらに勉強しました。
西郷隆盛の生涯を通じて、幕末・維新の流れが分かりやすく書かれています。西郷に関わった偉人たちも多数、登場してくるので、興味があればおすすめの一冊です。